オーストラリアの歴史



日本との関係へ

何万年も前からアボリジニが住む
オーストラリアは1988年、建国200年祭を盛大(せいだい)に行った。
また、1901年のオーストラリア連邦(れんぽう)成立から、ちょうど100年を迎(むか)える。 
しかし、5〜6万年も前から、この大陸には先住民(せんじゅうみん)が住んでいた。彼らを
アボリジニと言う。
 

 
アボリジニの人たちの踊(おど)り
囚人を送るための植民地
大航海(だいこうかい)時代、ヨーロッパの探検家(たんけんか)たちは、伝説(でんせつ)の「南の大陸(たいりく)」<テラ・オーストラリス>を求めて、大海(たいかい)に出た。 
17世紀はじめ、オランダ人によって発見されたオーストラリア。
その後、タスマンらも訪(おとず)れるが、注目を浴(あ)びるのは、1770年、イギリスの
キャプテン・クックがエンデバー号でシドニーの近くに上陸してからのこと。 
イギリスは、1788年、ニューサウスウエールズを囚人(しゅうじん=悪いことをしてつかまった人)流刑(るけい=ばつとして遠くへ島流しにしてしまうこと)のための植民地(しょくみんち=本国とはべつに持った自分の土地)とすることを宣言(せんげん)。最初の総督(そうとく)はアーサー・フィリップである。 
それからは、白人の文化が広がっていったが、アボリジニは殺されたりして急速に滅亡(めつぼう)した。
なお、オーストラリアというよび方は、南方を意味するラテン語「オーストラリス」から来ている。1814年に、イギリスの探検家(たんけんか)フリンダースが、それまで、新オランダとかニューサウスウェールズとかよばれていたこの大陸を、「オーストラリア」と名づけたと言われている。
 
キャプテン・クック (シドニーのハイドパークにある像)
 
メルボルン監獄(かんごく)             タスマニアのポート・アーサー監獄            
ゴールドラッシュと白豪主義
19世紀おわりごろ、金(きん)が発見されたことで、オーストラリアは流刑(るけい)の地「のろわれた大陸」から、「夢(ゆめ)の大陸」へとその姿(すがた)を変えた。 
ゴールドラッシュのにぎわいは、とどまるところを知らず、世界中から黄金を掘(ほ)り当てようとする人たちが移住(いじゅう)してきた。 
これをきっかけに、移民(いみん)を制限(せいげん)する法律(ほうりつ)が作られ、白人中心の考え方「
白豪(はくごう)主義(しゅぎ)」が強くなっていった。 
1901年、オーストラリア連邦が成立し、形の上でイギリスから独立(どくりつ)する。第2次世界大戦では、連合国側(がわ)として、日本とは敵対(てきたい)した。
 
多文化主義の国へ
戦後、オーストラリアは移民を増やす政策(せいさく)を進め、初めはヨーロッパ人に限(かぎ)っていたが、後に中近東、アジアからの移民も受け入れるようになった。
1970年代半(なか)ばごろからは、「白豪主義」にかわって、移民の持つそれぞれの文化の共存(きょうぞん)を認(みと)める「多文化主義」<
マルチカルチャリズム>を推進(すいしん)している。


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